ちいさないのちによせて

はじめてヤモリを見たのは、小学生のときだった。
夜、寝床を敷いていると、本棚の上に、なにか白い影のようなものが貼りついていた。


よく見ると、しろいトカゲみたいだ。
これが、ヤモリというやつなのか、とすぐに分かった。
害虫でないことは知っていたが、部屋の中に爬虫類がまぎれ込んでいるのは、
どうにも気持ちが悪い。
ということで、殺虫剤を出してきて、シュッとかけたのだった。
逃げるヤモリ。


追いかけまわしているうちに、それがちいさな子供のヤモリだと分かってきた。
顔がまあるくて、ふたつの点のような黒い目が、ちょんちょんと並んでついている。
口は真一文字で、まったくマンガのようなかわいらしさがあった。
まるかいてチョン、というやつだ。


子供心にも、かわいいものは分かる。慈悲の心もある。
しかし、いったん殺戮を始めてしまうと、なぜだかやめられなかった。
自分は、その子ヤモリのまあるい顔めがけて、殺虫剤を連発でお見舞いした。


どれだけ追っかけまわしていたか、そのうちに子ヤモリは、ぽとりと床に落ちた。
紙のゴキブリ捕獲器を足で蹴って、子ヤモリのそばへ寄せると、へろへろとその中へ逃げ込んだ。
あわれなものだ。


もう、この段になると、自分の心も、きりきりと痛んでいた。
まるで自分自身を追い込むように、子ヤモリを痛めつけていた。
捕獲器の中で、まあるい顔が、こちらを見ていた。
粘着剤に貼りついた手足も腹も、もう生きる余地を残してはいなかった。


そのまあるい顔めがけて、さらに殺虫剤を噴射。
もう、自分の心は、涙でいっぱいだった。
子ヤモリは、口をぱくぱくさせて、最後の空気を吸おうとしていた。
その口に、とどめの殺虫剤を吹き付ける。
この世に、こんなかわいらしい命があったとは、信じられないと思った。


翌朝、一番に捕獲器を覗きこんだ。
子ヤモリの命が助かってはいないかと、一縷ののぞみを期待したのだ。
子ヤモリは、死んでいた。つついても、動かなかった。
どんな顔で死んでいたのかは、どうしてか憶えていない。


それ以来、ちいさな生き物を愛でるのが、こわくなってしまった。
近年になって、やっと平常心を保てるようになってきた。
手の中で寝息をたてる命を見ても、ただいとおしいと思える。
それはそれ自身でひとつであり、だれの所有でもない。
だからこそ尊敬もでき、この身も捧げられるのだろう。


自分が死ぬ前に、やっておかなければならないと思うことがある。
いつか、あの子ヤモリに手紙を書くこと。
ただ「ごめんなさい」だけではない。
なんらかの整理をつけて、あの死に顔に向き合いたいのだ。


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