奥田民生との20年

GoN2008-01-27

奥田民生を知ったのは、20年前だ。
ユニコーン」というバンド名に、他のバンドブームの連中と同じ、
なんだかチャラチャラした軽さを感じた。
自分はその頃、海外のオルタナティヴ、ノイズ、実験音楽しか聴かない
サブカル少年だったので、まったく彼らの音楽を聴くことはなかった。


風のうわさにユニコーン解散、奥田民生ソロ開始を知った。
いつの間にか、彼はビッグネームになっていた。
それでも、なんとなく聴く気は起こらなかった。


PUFFYがデビュー。奥田民生プロデュースだった。
彼女らの曲は面白かったと思う。
もう彼女らも女の「子」の歳ではなくなってきている。


最近、奥田民生が「伝説のロッカー」と呼ばれている、という記事を読んだ。
いまだ、彼の曲は一度も聴いたことが無い。
いや、耳にしても誰の曲か知らなかった可能性もあるが。


それにしても、だ。
20年という時の長さを、彼をものさしに知ることになろうとは。
どこの馬の骨とも知らないチャラい青年が、「伝説」になったのだ。
20年って、それだけ充分な時間なのだ。
その過程を、断片的ではあるがひととおり知っている自分は、
同じ20年を生きたことになる。


で、これからも奥田民生を聴くことは無いと思うんですが、
つくづく20年って、長かったのねえ。