四次元日記

GoN2007-12-06

この世界の構成物には大きく分けてふたつのものがある。
ひとつは「空間」であり、もうひとつは「時間」なわけです。
感情その他主観的な知覚が中心となって、それら全てを自ら構成し、
経験するわけですね。
外的世界は、ひるがえってそのまま内的宇宙とも言えるわけです。


で、空間について観察を深めていくと、時間の経過についての注意がおろそかに
なってくる。
時間について観察を深めれば、世界の全体性を見失う。
と、ここで「神の視点」とは、全体を広く、また細部においても見渡せる、相対的な
視野のことをいうのだな、ということが分かるわけです。


理論的には、時間と空間とを同時に捉えることは可能です。
平面を限りなく時間軸の方向に積み上げたものが立体であり、この「厚み」は、
平面世界の住人にとっては「未知の領域」であるという・・・


はいはい。あ、リカちゃん。
ほんとだ。家の前まで来たねえ。ほんとだねえ。じゃあね。


・・・ええ、同じことが三次元と四次元の間にも言えるわけで、この「時間」という
概念は、常に主観の存在する空間においては不可視である。
仏教においても同じことが説かれ、時間を含んだ立体は平面にとって「無限大」であり、
逆に言えば平面は立体にとって限りなく「無」であり・・・


はい。ああ、玄関ね。ほんとだ、早いねえ。じゃあね。


・・・時間にしても、空間にしても、それを知覚する視点がどこにあるかが問題に
なってくるわけです。
一人の人間の中にも、二次元の視野で現象を捉える「自分」も居れば、三次元
以上の視野をもって世界を見渡す「自分」もいるわけですね。
だから、一概には自分がどの次元の住人であるかなどとは・・・


リカちゃん。入ってきちゃだめでしょう。おにいちゃん、勉強中なんだから。
・・・でも、どっから入ったの?