近所の不確定性

帰りがけ、街角の古本屋をひやかしてみる。それほどたいしたものは無さそうだ。
美術書の棚に、A.ブルトンの書いた大判の絵画評論集がある。タイトルがよく見えない。
手にとって見ると、ブルトンではなかった。でも、面白そうだ。


この本屋は、屋外で露天のようにして開かれている。
道端に打ち捨てられたように置いてある椅子に腰掛けて、本を読む。
気がつくと、本は変形のB5サイズになっていた。
印刷の不便な点を逆手に取った作品が満載。どれも秀逸で、目を奪われる。


フト顔を上げると、陽が落ちていた。もう帰ろう。
本を戻そうと棚を探すのだが、見つからない。
というか、本屋自体が消滅してしまった。いや、そんなはずはない。
街角というのは、自分の向いている方角と目印の位置によって、
まるで違ったように見えてしまうものだ。・・・とくに方向音痴の自分には。


家の近所で迷うとはなあ。
いまさっきまでいた古本屋を探して、大通りの交差点まで戻ってみる。
そこから、もういちど自分の辿った経路を洗いなおすことに。


理論的に行くと、自分が通ったのはこの道じゃあない。
統計的にも、地形学的にもそうなのだが、さっきまで座っていたあの椅子が問題だ。
実際に目に見えているのが、なんとも癪だ。椅子があるのに、本屋がそこにない。


そうだ。「椅子」と「本屋」を結びつけて考えるから、理屈が通らなくなるのだ。
自分は、きっと棚から本を出して、椅子までしばらく歩いたに違いない。
その歩くうちに、角を曲がるかしたのだろう。きっとそうだ。ちょっと無理あるけどな。


理論もクソもかなぐり捨て、最後はしらみつぶしに歩き回ることに。
狭い路地まで覗き込んだが、やっぱり古本屋は見つからない。
いつのまにか隣町まで来てしまった。おかしい。
そうか。露天だから、店を閉めたのかな。そうだ。陽も暮れたしな。
なんでそこに気がつかなかったんだろう。


今日はこの本は借りて帰ることにしよう。明日また出向いて、お金を払って買おう。
なかなかいい本だしな。この・・・


あっ。


ずっと手にしていたはずの本がない。
いや、いつまで本を手に持っていたのか、記憶が無い。


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