ぶくぶく

ざんざん降りの墓場で、大男に組み伏せられてしまった。
「ふふふ。ここがお前の死に場所だ」
短剣を取り出し、太い腕で突き立ててくる。


負けるもんか。その腕を両手でしっかとつかみ、握り締める。
剣は目の前。渾身の力で、雑巾をしぼるようにして、男の手を締め付ける。
ぽたり、ぽたり、と男の手から雨のしずくが、顔に落ちてくる。


ぐいぐい絞めているうち、だんだんとしずくが灰色になってきた。
男が、しぼられているのだ。これは、この大男の腕から出た汁なのだ。
手をちょっとゆるめてやると、男の手が雨を吸うのが分かる。
ぐいっと絞めて、じゅわっと吸わせる。いいですか。ぐいっ、で、じゅわっ、です。


こうしてしばらくしぼりつづけていると、荒くれ者の大男はおとなしくなってきた。
腕からだんだんと肩へ、もう一方の腕へ。だんだんと男をしぼっていく。
両脚、頭、そして胴体。大男は、いまや雨を吸ってぶくぶくになっている。
もうこれは、人間ではなくて、水分の固まりです。いいですか。
ぐいっ、で、じゅわっ、です。いいですか。


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対策として

レストランの化粧室を出ると、そこに床はなかった。


すんでのところでドアの取っ手をつかみ、ぶら下がる。
ここはビルの外。下は、6階ほどの高さがあるようだ。
化粧室のドアは、ゆっくりとぼやけ、ビルの外壁に消えつつある。


なんでこんなことに、と嘆いているばあいじゃない。
あやふやな世界と世界とのあいだでちょっとしたトリックに陥ることは、よくあることだ。
放り出されたこの厳しい現実で、今はとにかく、このドアの取っ手が命綱。
たとえそれが、あやふやな虚構の置き土産であったとしても。


下からビル風が吹き上げてくる。
どうやら、ここはふたつのビルの隙間であるらしい。
ビジッ、ビジッ、と明滅する蛍光灯のように、取っ手の存在があやふやになる。
消えるな。消えるな。と必死の念力のような想像力をふりしぼる。
ドアに両足を突っ張り、尻を突き出すと、うしろの壁にあたった。どうやら隙間は広くない。


うしろのビルの側壁に背中をぴったりつけ、両足は手前の壁に踏ん張る。
こうやっていれば、なんとか落ちずに体勢を維持できるようだ。助かった。
お役御免、と、取っ手もドアも跡形もなく姿を消した。まるで、トリックの種を消すように。
自分は最初からあの化粧室にはおらず、ずっとここにこうしていたかのようだ。


両手で背中のビルをかるくささえながら、じわり、と体を下へすべらせる。
つぎに、足を等間隔に一歩ずつ、後じさりするようにしておろす。
この動作をリズムをつけてゆっくりと行えば、けっこう早く下まで降りられそうだ。


現実はきびしい。
だが、完全なる不可能を押し付けてくるものではない。


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夜の山肌

列車の窓から眺める景色は、遠くの山並み。
これから湾の入り江を回って、太平洋を望むのだ。


行く手には、ひときわ異彩を放つ真っ黒な山。
昼なお暗く、ひと足先に日が暮れている。
その黒の深さは尋常ではなく、あたりの景色を吸い込むほど。
見よ、工場の煙突が吐く煙りを。
真っ黒な山めがけてたなびく構図は、まるで日本海軍の日章旗のようだ。


山は、ちいさな湾にずっしりのしかかる。
湾は昼なお暗く、海中に蛍イカの群れるのが見える。
今目の前で、ちいさな湾は、黒い山にすっぽりと飲み込まれてしまった。
入り江は無くなり、すべて山になってしまった。


ここで列車は予定をあらため、すごすごとトンネルに入ることになる。
夜の山肌に、突入するのだ。


この山以外は、まだ夕陽が残る。あたりは一面、明るいオレンジ色。
夕陽を照り返す太平洋は、あきらめざるをえないだろう。


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わっはっは

夜、便所へ行こうと縁側を通る。
すると、ぼうっとした影のようなものが、むこうの軒下に見える。
いくら眼をこらしても見えない。
こりゃあ、集中力というものが足らんのだ。


集中力を探すが、見当たらない。
ありゃあ。どこへやったかなあ。・・・と思ったら、頭の上に乗っていた。
こりゃあ、わしとしたことが。わっはっは。


で、ふたたび軒の下を見直したら、管弦楽団だった。
なにか演奏しているようだが、聞こえない。
こりゃあ、耳が遠くなったかな。


よく調べたら、耳のスイッチが"REC"になっていた。
そりゃあ聞こえないわな。わっはっは。


たっぷり演奏を楽しんだあと、寝床へ戻る。
寝ようとしたが、さっきの演奏の音が耳についてはなれず、眠れない。
あんまりうるさいので調べてみたら、さっき間違って録音したやつが残っていた。


こりゃあ、わしとしたことが。わっはっは。


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片割れと全体

ベッドに腰掛けていると、足首をぐいっとつかまれた。
見ると、ベッドの下から二本の手が伸びてきている。
びっくりして手を振りほどこうと足をばたばたさせたが、どうにもならない。


そのまま、ベッドの下へ引きずりこまれてしまった。


気がつくと、自分はさっきのように腰掛けている。
目の前には、壁。反対側にいるのだ。
そして、ベッドの下から伸びた足首を両手でつかんでいる。


引っぱり出そうと踏ん張ったが、却ってこちらが持っていかれてしまった。
ベッドの下へ、頭から突っ込む。
そんなくり返しが、しばらく続いた。


ベッドに腰掛けたまま、考える。足首は、ベッドの下の手につかまれたまま。
この悪循環から、なんとかして逃れなければならない。
それには、第三者の力が必要だ。
そうだ。電話をかけよう。


「毎度ー。そば久でーす」


出前がきた。ベッドの下から出たあいつが、玄関へ向かう後ろ姿を見送る。
足首は自由。今だ。
開いたドアの隙間から、するりと外へ脱出することに成功。
蕎麦屋の、あの驚いた顔。


公園のベンチで、ほっとする。
もう誰もこの足を引っぱるやつはいない。自由だ。これが、自由だ。
それにしても、あいつは誰だったんだろう。
もう引っぱる相手のいなくなった部屋で、ひとり蕎麦を食っているあいつは。
なぜだか、不思議にさびしい気分。
なんとなく、自分が半分になってしまったような感じだ。


公園の噴水の向こうから、やつが現れた。
手に、ビニールがかかったままのどんぶりを持っている。
よくここが分かったものだ。
顔を見ると、どこかで見た顔だ。自分に似ているが、自分じゃない。


ベンチに並んで腰掛け、蕎麦をはんぶんこにして食べるうち、思い至った。


そうだ。


こいつは、どこかの誰かの顔を半分に割って、それを左右対称に直した顔なのだ。
そして、もう半分の顔を担うのが、自分なのだ。
俺たちは、ふたりでひとつなのに違いない。


最後の汁を飲む相棒の顔を、しげしげと眺める。
そして、自分を含んだ全体のやつの顔を、想像しようとする。
しかしそれは、ほとんど不可能に近かった。


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直飲み

のどが渇いてるんだあ。冷蔵庫から直飲み。
真っ白な機体を傾け、ごくごくごく。中身は何だ?


おや、ドアを開けると、冷蔵庫の中は畳敷きの大広間だ。
奥まで並べられた長机には、肩幅ほどの間隔でずらりとコップが。
コップは、どれも空っぽだ。飲み物は入っていない。


このコップじゃないとするなら、じゃあ、俺が飲んだのは何だったんだろう。
いや、むしろ俺が飲んだからコップが空っぽなんだというべきではないか。


ぴんぽーん。
チャイムが鳴った。


冷蔵庫を開けると、黒い羽織のコワモテ集団が立っている。
「おい、おめえさん、テーブルの上のビール飲まなかったかい」
いえ。めっそうもない。存じ上げませんです。はい。


ああ、怖かった。そうか、中身はビールだったか。
よしよし、ドアにマジックで「ビール」と書いておこう。


どんどんどん。
冷蔵庫のドアが乱暴に叩かれ、コワモテ集団が押し入ってきた。
「ちょっくらごめんよ」
ドアを見ると、「ビール」の文字。


「やっぱりてめえじゃないか」


ぎらり。抜かれた脇差が光る。
さあみなさん。私は、これからえらい目にあいそうですよ。


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黒いすいか

お不動さんの日、門前はすいかでにぎわっていた。
どこから集まってきたのか、あかるい緑に縞々模様の丸い姿が、ごろごろしている。
空は高く、今日はいい天気。すいかたちも、汗をかいている。


ばちゃり。
金魚すくいの水槽に、すいかがひとつ落ちる。まるで違和感なし。


あわてて立ち上がったテキヤのすいかが、煙草をくわえたまま、地面に転げ落ちた。
アスファルトの上で、あえなくまっぷたつ。
すいかの中身は、ヤニで真っ黒になっていた。


ああ、食べたくない。食べたくない。


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